個人の認識

日常、家庭や会社にいる時、個人個人が将来の地球のことを本気で考えているのか疑問に感じることが多々あります。暑ければ、冷房をがんがんきかせ、寒ければ暖房を・・・といった感じですし、ごく近所に出かける時でも自家用車やバイクを使用するという感じではないでしょうか。まだまだ、我々は、地球環境に関してま先のこと、自分には関係ないことと認識しています。自分の子供や孫、その先の子孫が割りを食うことになるのを知っていながら、他人ごとのように考えていますし、将来自分達に降りかかってくることを認識しながら、そんなの関係ないと無関心な若者達(私の息子もそうです)もいます。人間は痛い思いをしないと改善しようという気にはならないのでしょうか。過去の歴史、明治維新の時の徳川幕府や第二次世界大戦での日本国でも、もうこれ以上は無理と身にしみて感じるまで学ぶことをしませんでした。ということは、海や山の自然環境がぼろぼろになり、もう手の施しようがないという近い将来にやっと自分達の愚かしさに気づき、反省するだけで、手をこまぬいていることになるのか、より発達した科学技術で乗り越えることが出来るのか私にはわかりませんが、人類に未来がることを祈ります。まあ、人類の未来という言い方自体が勝手なのであって、地球全体の連鎖を崩した人類が全責任を負うべきことかもしれません。

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